坂折棚田で身を清める

晩秋の坂折集落
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それにしても「坂折棚田」の景色には身を清められる。紅葉の山々と点在する人家の屋根に射し込んだ陽の光は跳ね返って、石積みの棚田にゆっくり吸い込まれていくようだ。
街灯もない暗闇の野道から見上げる星の輝きにはロマンが溢れ、家々からこぼれる明かりの群れはやわらかい。夜明けの風は思い切り体に沁みこみ、野焼きの煙がゆっくり村の上空をうねるように流れていく。
名駅タワーズや新しくできるトヨタのミッドランドスクエアの姿と明かりに現代人は何の感動も覚えないだろうが、四季を通し鮮やかに変化する山里の棚田には心を奪われる。
石積み出稼ぎ技術集団「黒鍬」
畦道を歩けばあらためて階段状に築かれた千枚田のイメージが浮かび上がり人の汗がにじみ出る労働感さえ感じる。この坂折棚田の石積みは知多郡内の「黒鍬」と呼ばれる出稼ぎ技術集団によって築かれたということだ。
11月25日(土)、26日(日)の二日間、棚田の美しい風景を守り、石積み技術の継承と棚田を愛するボランティアによる保全活動のきっかけとして「坂折棚田石積み塾」が開催された。主催したのは恵那坂折棚田保存会と山里文化研究所で、石積み塾は本州地域では初めての企画らしく、地元住民と岐阜県、愛知県、遠くは茨城県からも含め男女約30人が参加した。益田地域からの参加は私一人だけだったが、東京と愛知の大学生二人の参加には活気づけられた。
「乱れ積み」と「谷積み」

石積み作業
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石積みで汗を流す
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大石を転がす
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石積みを伝授する職人さん |
昨年崩れた棚田の3地点を3班に分かれて新たに積みなおしたが、すべてが人力による石積みである。それぞれの班には村の現役の石積み職人が就いて指導したが、習う余裕はなく石の重さと土の感触を味わい、汗をかくことが第一のような状況だった。石は棚田の崩れ石と近くのほ場整備から出たまわし石を使用した。
石積み職人の「石積みさ」は皆が70歳を超えているのに肉体の俊敏な動きとその瞬発力には驚くばかりで、何より気持ちに余裕がある。「人間、どういう汗をかいて生きてきたかが最後に問われる」と同じ班にいた人が言った。
「乱れ積み」、「谷積み」、「布積み」と聞けば確かにしゃれた技法を連想するが、いざ実践となると簡単にできるものではない。石には8つの顔があり谷に合った石を早く見つけなければならないが、何もできない。石積みさは水糸を張り、崩れ土を掘り、全体を読みながら石を芸術的に積んでいく。大きな石でも直接持つことはなく、うまく転がしながら力を分散しながら運ぶ。
「これが石の顔、ここが下、ハイ、積んでみて」と指導を受け運んで噛ませようとするが、うまくはまらない。石の顔がわかったはずなのに、いざ合わせようとすると狂ってしまうのだ。それでも参加者同士、互いに感じたことを言いながら作業を進めていく。石を合わせ積むことだけが石積みではない、土を運ぶこと、小さな石を当てていくことなどいくらでも仕事は産まれてくる。
翌日は一日でできなかった一番高さのある棚田の石積みを全員で行った。一番下の根石からてっぺんの天端(てんば)まで積みあがったのを眺め充実感にひたった。
紙芝居と芋ごね・棚田汁の味

石積み塾で講義をする
柘植功さん
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石積みの技法を現代に伝える地元の職人柘植功さん(76歳)による石積み塾講義は畑作石積みから水田石積みの歴史に加え、割り石積みとブロック石積みの紹介から危険な積み方まで体験的に語られた。
さらに夜の古民家での交流会では村の伝説を元にした創作紙芝居まで披露されたものだから、村の歴史をますます知りたくなった。

紙芝居で村の伝説を語る |

捕れたてのシシ肉

芋ごねを焼く村のおばちゃんたち
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汗を流した後の食事はたまらない。夜の交流会では地元の猟師が捕ったイノシシ鍋で体が温まり、坂折川の寒の清水で吟醸したこだわりの銘酒「くろくわ」で酔い、坂折棚田で収穫した「棚田米」で恵みを存分に味わった。
さらに26日の昼は古民家の庭で地元のおばちゃんたち手作りの里芋と米を餅状にして焼いて食べる「芋ごね」と根菜や山コケをふんだんに入れ地味噌の「棚田汁」、漬物などがふるまわれとてもおいしくいただいた。
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